日朝関係の変化!激動の朝鮮王朝史10

日朝修好条規の締結

当時の日本は欧米から不平等条約を強いられていた。その代わり、朝鮮半島で利権を取ろうという考えがあった。一方、「朝鮮王朝実録」を見ると、高宗が「隣の国はどうなっているのか?」と高官に聞くくらい日本の事情がわかっていなかった。
朝鮮王朝には、中国の北京経由でしか日本の情報が入ってこなかったのである。これでは両国の関係が途絶えてしまうのも仕方がない。
そんな中で起こったのが、1875年の雲揚号事件だ。雲揚号とは日本海軍の軍艦である。日本は朝鮮王朝を開国させようと江華島(カンファド)に雲揚号を向かわせて、挑発的な態度に出る。




なお、江華島は朝鮮王朝の歴史によく出てくる島で、大変重要な拠点だった。その近くで雲揚号が朝鮮王朝を威嚇し、それに応戦するかたちで、朝鮮王朝は島にある砲台から砲撃した。
これを契機に日本はさらに朝鮮王朝に開国を迫り、1876年に日朝修好条規(江華条約)が結ばれた。これは朝鮮王朝に対して開国や開港を要求する条約で、朝鮮王朝側からすれば不平等条約である。
日本は、欧米からかなり不平等条約を押し付けられていたが、今度は武力を背景に、朝鮮王朝に対して自分たちが有利になる条約を結んだのだ。(第11回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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