激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)7「悪化する立場」

仁穆王后の遺品

朝鮮王朝時代には、本当に人を呪い殺せると信じられていた。それゆえ、呪詛は重大な罪になった。
首謀者は死罪をまぬがれなかったのだ。
それにしても、仁祖はなぜ貞明公主に疑いの目を向けたのか。
そこには伏線があった。
実は、仁穆王后が世を去ったあと、彼女の部屋から書が出てきたのだが、その中に「王を廃位にして新しい王を擁立したほうがいい」という意味の文があった。




具体的に、どの王を指すのかはわからなかった。そういう意味では、抽象的な文であった。
それなのに仁祖は、仁穆王后が陰謀を計画していたのではないか、という疑いを強く持った。
(ページ3に続く)

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)1「宣祖の娘」

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)2「数々の悲劇」

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)3「書の才能」

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)5「仁穆王后の主張」

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)6「20歳での結婚」

激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)8「苦労の連続」




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