- 2020-1-10
- 韓国時代劇の登場人物
- 光海君, 朝鮮王朝, 歴史
南海の孤島に流罪となる
◆王位を安定させるため、光海君の側近たちは、1609年に臨海君を死罪にし、1614年には永昌大君も殺害した。これによって、光海君は大きな恨みを買ってしまった。
◆光海君は政治家として優れた手腕を発揮した。外交面では朝鮮半島の北側で精力を伸ばした後金(後の清)と巧みに交渉を行ない成果を挙げた。内政面では庶民の減税につながる「大同法」という法律を作った。
◆1623年、宣祖の孫であった綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを起こし、光海君は王宮から追放されてしまった。光海君が油断していたことが命取りになった。
◆廃位となった光海君は最初に江華島(カンファド)に流された。一緒に流罪となった息子夫婦は逃亡をはかって死罪となり、妻は悲観して自害した。しかし、光海君は必死に生きようとした。
◆光海君は最終的に、さいはての地とも言える済州島(チェジュド)に流された。それは、かつて国王だった光海君にとって最大の屈辱だった。
◆光海君が済州島で世を去ったのは1641年だ。このとき、光海君は66歳になっていて、廃位になってから18年後だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
仁穆(インモク)王后の悲願は光海君(クァンヘグン)の斬首だった!
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?
廃位となった光海君(クァンヘグン)の最期の地は済州島だった!