光海君(クァンヘグン)を廃位にした仁祖(インジョ)に正当性はあるのか

卓越した外交戦術家

結局、クーデター軍が挙げた大義名分は「こじつけ」ばかりだったのですが、あえて言えば、継母の仁穆王后を幽閉した件は責められても仕方がありません。「孝」を最高の徳目とみなす儒教を国教にしている朝鮮王朝では、「息子」が「母」を処罰することがあってはならないのです。
この点では、クーデター軍の言い分に一理あると言えるでしょう。
光海君を追放して王位に就いた仁祖は、自らの正当性を強調するために、徹底的に光海君を悪者に仕立てあげました。その非難が定着し、以後の朝鮮王朝で光海君は暴君と言われ続けました。




しかし、20世紀の後半になって、光海君の見方は一変してきます。歴史研究が進んでくると、光海君を「卓越した外交戦術家」と評価する論調が増えてきたのです。それにつれて、光海君を暴君とみなす風潮も改まっていきました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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