カテゴリー:歴史物語
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激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)6「20歳での結婚」
1623年、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放するクーデターが成功し、主導した綾陽君(ヌンヤングン)が16代王・仁祖(インジョ)として即位した。仁穆(インモク)王后と貞明公主も幽閉を解かれ、完全に名…詳細を見る -
激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)5「仁穆王后の主張」
1623年、光海君(クァンヘグン)を追放するクーデターが成功し、幽閉を解かれた仁穆(インモク)王后と貞明公主。2人の地獄のような監禁生活は10年で終わった。このとき、貞明公主は20歳だった。 …詳細を見る -
激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)4「光海君への恨み」
永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された上に、西宮(ソグン)に幽閉された仁穆(インモク)王后と貞明公主。悲しみのどん底に突き落とされた2人にとって、ついに恨みを晴らす日がやってきた。光海君(クァンヘグン…詳細を見る -
激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)3「書の才能」
15代王・光海君(クァンヘグン)によって最愛の弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された貞明公主。彼女自身も王女から庶民に格下げとなり、母の仁穆(インモク)王后と一緒に西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トク…詳細を見る -
激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)2「数々の悲劇」
14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后を両親にして1603年に生まれた貞明公主。弟は3歳下の永昌大君(ヨンチャンデグン)だった。宣祖が1608年に亡くなり、異母兄の光海君(クァンヘグン)が1…詳細を見る -
激しく生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)1「宣祖の娘」
公主(コンジュ)というのは、王の正室が産んだ王女のことだ(王の側室が産んだ王女は翁主〔オンジュ〕と言う)。数多くの公主の中でも、貞明公主は歴史的に有名だ。どんな女性だったのだろうか。彼女の波瀾万丈の人…詳細を見る -
NHK・BSで放送の『100日の郎君様』の世子とは何か
NHK・BSプレミアムで放送の『100日の郎君様』。ド・ギョンス(EXOディオ)が主演して凛々しい世子(セジャ)に扮している。この世子というのは、朝鮮王朝でどんな存在だったのだろうか。 …詳細を見る -
景宗(キョンジョン)と英祖(ヨンジョ)!兄弟愛で骨肉の争いを回避
1718年3月9日、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏(『トンイ』の主人公)が亡くなった。彼女が世を去ったとき、息子の英祖(ヨンジョ)は24歳だった。そして、異母兄の景宗(キョンジョン/張禧嬪〔チャン・ヒ…詳細を見る -
愚かな仁祖(インジョ)の反省!
仁祖(インジョ)とは誰か。 生没年は1595年~1649年。朝鮮王朝の16代王。在位は1623年~1649年。光海君(クァンヘグン)を1623年に追放して即位したが、失政が続いて苦しい統治を強いられ…詳細を見る -
呆然とする思悼世子(サドセジャ)
思悼世子(サドセジャ)とは誰か? 生没年は1735年~1762年。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子で、母は英祖の側室であった映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏。思悼世子は幼い頃から頭脳明晰だった。しかし、…詳細を見る