カテゴリー:王宮物語
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昭顕(ソヒョン)世子は人質から帰国直後に毒殺された
1637年1月、清の大軍に攻められて敗北した朝鮮王朝は、16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪をして滅亡を免れた。しかし、昭顕(ソヒョン)世子を初めとして仁祖の3人の息子が人質として清に送られた。そ…詳細を見る -
昭顕(ソヒョン)世子は清での人質生活をどう過ごした?
1637年1月、朝鮮王朝は大軍で攻めてきた清に敗北し、16代王・仁祖(インジョ)は清の皇帝の前で土下座のように謝罪した。史上最悪の屈辱で、以後も朝鮮王朝は清に服従を強いられた。 人質となった…詳細を見る -
〔物語〕イ・サンは本当に毒殺されたのか
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は、ハングルを創製した聖君・世宗(セジョン)と並ぶほどの名君と評価されている。何よりも、頭脳明晰で学者顔負けの博識だった。彼はドラマ『イ・サン』の主人公としてもよ…詳細を見る -
朝鮮王朝の金字塔「ハングルの誕生」
ドラマ『大王世宗』は、朝鮮王朝最高の名君と呼ばれた4代王・世宗(セジョン/在位は1418~1450年)の人間らしい苦悩を描いた時代劇だ。彼は、韓国の小学校の校庭にかならず銅像があるほど今でも最高の尊敬…詳細を見る -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子を後継者にしたかった!
1688年に張禧嬪(チャン・ヒビン)は粛宗(スクチョン)の初めての息子を産んだ。この王子を、粛宗は早く後継者に決めたいと考えた。そのためには、生まれた息子を元子(ウォンジャ)に指名する必要があった。王…詳細を見る -
粛宗(スクチョン)が激怒した張禧嬪(チャン・ヒビン)の母親侮辱事件!
それは1688年10月のことだった。王宮に8人の男が担ぐ屋根つきの輿(こし)が入ってきた。屋根つきの輿、といえば、相当な身分の人が乗るものだ。しかし、実際に乗っていたのは平民だった。 国王を…詳細を見る -
最強の親子!イ・バンウォン(太宗〔テジョン〕)と世宗(セジョン)
世宗(セジョン)が1397年に生まれたとき、父親の太宗(テジョン)は波乱の中にいた。彼は世子(セジャ)の指名からはずれてしまったが、異母弟の芳碩(パンソク)を排除して自分が正当な王位継承者であることを…詳細を見る -
〔物語〕もし思悼世子(サドセジャ)が現代に甦ったら何を語る?
思悼世子(サドセジャ)とは誰か? 生没年は1735年~1762年。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子で、母は英祖の側室であった映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏。思悼世子は幼い頃から頭脳明晰だった。しかし、…詳細を見る -
〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る?
粛宗(スクチョン)とは誰か。 生没年は1661年~1720年。1674年に19代王として即位。政治的な業績も多かったが、女性問題でよくトラブルを起こして王宮内を混乱させた。1689年に、仁顕(イニョ…詳細を見る -
〔物語〕もし英祖(ヨンジョ)が現代に甦ったら何を語る?
英祖(ヨンジョ)とは誰か? 生没年は1694年~1776年。ドラマ『トンイ』の主人公となった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を母に、19代王・粛宗(スクチョン)を父に生まれた。1724年に異母兄の景宗…詳細を見る