タグ:光海君
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光海君(クァンヘグン)はなぜ兄の臨海君(イメグン)をさしおいて王になれたか?
臨海君(イメグン)も光海君(クァンヘグン)も、14代王・宣祖(ソンジョ)の息子である。母親は恭嬪(コンビン)・金氏(キムシ)で、宣祖の側室だった。つまり、2人は王妃から生まれた嫡子ではなかったのである…詳細を見る -
仁祖(インジョ)は王子のときに綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれた!
王の正室が産んだ王子は、名前に大君(テグン)が付くが、側室が産んだ王子の場合は、君(クン)だけが付くのである。それによって、綾陽君(ヌンヤングン)が側室から生まれた王子の系統であることがわかる。 …詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)への恨みを晴らした仁祖(インジョ)の復讐劇!
朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)は1567年に15歳で即位した。1592年には豊臣軍による朝鮮出兵があり、朝鮮王朝は存亡の危機を迎えたが、戦乱は1598年に終結して宣祖は復興に力を入れた。 …詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘5
貞明公主は、クーデターの直後には結婚できたが、20歳だったので、当時としては遅い結婚だった。当時のしきたりでは、王女は結婚したらすぐ外に出ることになっているので、外に大きな屋敷を構えた。 無…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘4
綾陽君は仁穆王后の怒りがあまりに大きいので、その場を退散して、また改めて出掛けた。仁穆王后も少し頭を冷やしたようで、「大義名分を出すには条件がある。あの化け物の首を取ってまいれ」と言った。 [c…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘3
光海君は「明は滅亡して後金の時代になる」と予測していた。「明に肩入れするとうちの国もやられてしまう」ということで、やむを得ず援軍を出すときは最小限にして、後金に対して「事情があって明に援軍を出していま…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘2
宣祖があと5年ほど生きていたら永昌大君が王になっていた可能性が高い。だからこそ、光海君の一派が毒殺したのではないかと言われている。光海君の側近には、悪女として有名な金介屎(キム・ゲシ)という女性がいた…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘1
朝鮮王朝の1592年というと朝鮮出兵であった。豊臣軍が攻めてきた年だ。そのときの王は、14代王・宣祖(ソンジョ)だった。それまでの13代目までは、すべて国王の正室から生まれていて、正統的な王位継承者な…詳細を見る