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張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!
張禧嬪(チャン・ヒビン)は親戚に通訳官をしている人がいたことから、そのコネで女官として王宮に入ってきた。大変な美女だったということで、やがて19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けるようになった。 …詳細を見る -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!
朝鮮王朝の27人の国王の中で、とりわけわがままだったのが19代王の粛宗(スクチョン)だ。彼は仁顕(イニョン)王后という正室がいたのに、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしたくて仕方がなかった。その…詳細を見る -
イニョン王妃の復活と死!チャン・ヒビンに呪われたのか
19代王の粛宗(スクチョン)が熱望した跡取りの王子を側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)が1688年に出産した。すると、翌年に粛宗は非情にもイニョン(仁顕)王妃を廃妃(ペビ)にしてしまった。空いた王妃の座に…詳細を見る -
イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?
1681年、イニョン(仁顕)王妃は粛宗(スクチョン)の二番目の正室となった。彼女はあまりに人が良すぎた。というのは、粛宗の寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)が王宮から追い出されたときに、同情を示したので…詳細を見る -
〔物語〕張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!
19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する…詳細を見る -
粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!
1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。 我が子の将来のた…詳細を見る -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか
一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(後編)
そんな張禧嬪(チャン・ヒビン)にとってショックな出来事が起こる。1694年9月20日に淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が息子を産んだのだ。この息子が、後の21代王・英祖(ヨンジョ)になる延礽君(ヨニング…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(中編)
政権の内部では仁顕(イニョン)王后が属する西人派(ソインパ)と、張禧嬪(チャン・ヒビン)が属する南人派(ナミンパ)が派閥の主導権争いをしていた。最初は、仁顕王后の後ろ盾があったことで優位にたっていた西…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(前編)
朝鮮王朝三大悪女の1人として知られている張禧嬪(チャン・ヒビン)は、1659年に生まれ、女官として王宮に入った。とても美しい女性として評判だった張禧嬪が、19代王・粛宗(スクチョン)に見初められたのは…詳細を見る