タグ:朝鮮王朝
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張緑水(チャン・ノクス)の誘惑!
貧しい家の出身だった張緑水(チャン・ノクス)は、王族の屋敷で働く奴婢(ぬひ)と結婚して息子も産んでいた。しかし、夫と息子を置いて家出して妓生(キセン)となった。成り上がりたい、という自らの欲望を叶える…詳細を見る -
518年間続いた王朝の終焉
26代王の高宗(コジョン)が即位したときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。 …詳細を見る -
惜しまれる孝明(ヒョミョン)世子の早世
女帝のように王朝を支配した貞純(チョンスン)王后が1805年に世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。さらに、政治が混乱していきました。 [capt…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の改革をつぶした貞純(チョンスン)王后
正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能があ…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)は貞純(チョンスン)王后を処罰しなかった
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公に…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲惨な親子関係
1701年10月、粛宗(スクチョン)の命令によって、張禧嬪(チャン・ヒビン)は死罪と決まりました。死を覚悟した張禧嬪は「世子に会わせてください」と懇願しました。この世子とは、張禧嬪が1688年に産んだ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)
1689年、粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を王宮から追放しました。「仁顕王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面」……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に惚れ抜いた粛宗(スクチョン)
19代王の粛宗(スクチョン)は孝宗(ヒョジョン)の孫にあたります。在位期間中は農業と商業を活性化させて庶民の生活水準を向上させたことが功績になっています。その一方で、自己中心的で女性問題で何度もトラブ…詳細を見る -
不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の急死
1637年1月、侵攻してきた清に屈伏した16代王・仁祖(インジョ)は、清の皇帝の前で屈辱的な謝罪を行ないました。その代償は大きく、仁祖の3人の息子たちは人質として清に連行されました。長男の昭顕(ソヒョ…詳細を見る -
罵声を浴びた仁祖(インジョ)
1623年、光海君(クァンヘグン)に対して怨みを持っていた綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを起こし、油断していた光海君は廃位となって王宮を追われ、江華島(カンファド)に流罪となりました。 …詳細を見る