タグ:歴史
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金宗瑞(キム・ジョンソ)はなぜ端宗(タンジョン)を守れなかったのか
1452年に5代王・文宗(ムンジョン)が亡くなり、長男の端宗(タンジョン)が6代王となりますが、まだ11歳でした。この幼い端宗の後見人となったのが「大虎」と称された金宗瑞(キム・ジョンソ)でした。 …詳細を見る -
朝鮮王朝の悲劇の王「端宗(タンジョン)」の最期とは?
11歳で朝鮮王朝の第6代王に即位した端宗(タンジョン)は、1455年に叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われ、さらに流罪となった。その後の彼を待っていた運命はあまりに悲惨であったのだが……。 あ…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)は結局は「代理の王」だったのか
燕山君(ヨンサングン)がクーデターで1506年に廃位となり、代わって異母弟の中宗(チュンジョン)が11代王になった。彼は急に即位したが、それまで国王になるための帝王学を学んでいなかった。何の準備もなく…詳細を見る -
世子(セジャ)はどのように教育されたのか
朝鮮王朝では、国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と呼びました。筆頭候補は王の長男ですが、健康面や能力を見て二男以下が選ばれることもありました。その最終決定者は現役の王であり、王は春の吉日を選んで…詳細を見る -
安平大君(アンピョンデグン)と対立した首陽大君(スヤンデグン)は何をしたか?
1452年5月、5代王の文宗(ムンジョン)は自分の死期に気づき始めたが、まだ11歳の長男の行く末がとても心配だった。そこで、金宗瑞(キム・ジョンソ)や皇甫仁(ファンボ・イン)という重臣たちを呼びだし、…詳細を見る -
ホ・ジュン(許浚)は名著『東医宝鑑』を書いた真の偉人!
ホ・ジュン(許浚/1546~1625年)は400年近く前に亡くなった名医。彼のおかげでどれだけ多くの人の命が救われたことか。ホ・ジュンが著した『東医宝鑑』は日本や中国だけでなくヨーロッパまで鳴り響いた…詳細を見る -
仁祖(インジョ)は貞明公主(チョンミョンコンジュ)に特別待遇を与えた!
1623年、光海君(クァンヘグン)が廃位となり、16代王・仁祖(インジョ)が即位した。当時、光海君の継母であった仁穆(インモク)王后と娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)は離宮に幽閉されていたが、新し…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継…詳細を見る -
朝鮮王朝で一番ひどい極悪ファミリーとは?
朝鮮王朝の政治の世界では、多くの悪人が暗躍していた。それは、韓国時代劇が描くとおりだ。その中で家族がこぞって悪人だったのが、文定(ムンジョン)王后と尹元衡(ユン・ウォニョン)と鄭蘭貞(チョン・ナンジョ…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)の息子の仁宗(インジョン)は孝行息子の鑑!
1506年に即位した中宗(チュンジョン)は端敬(タンギョン)王后を7日間で廃妃(ペビ)にせざるをえなかったが、次に迎えた正室が章敬(チャンギョン)王后だった。彼女が産んだ中宗の長男が仁宗(インジョン)…詳細を見る