タグ:歴史
-
朝鮮王朝の滅亡!激動の朝鮮王朝史11
26代王・高宗(コジョン)の父であった興宣大院君(フンソンデウォングン)が、1873年に明成(ミョンソン)皇后によって失脚させられてしまい、実権を握っていた明成皇后が朝鮮王朝の開国に踏み切った。その後…詳細を見る -
日朝関係の変化!激動の朝鮮王朝史10
当時の日本と朝鮮半島の関係はどうだったのか。徳川幕府が倒れて明治維新になったのが1868年である。それまでの朝鮮王朝は徳川幕府と仲が良く、265年間に朝鮮通信使が12回来日していた。朝鮮王朝は、「徳川…詳細を見る -
朝鮮王朝の衰退!激動の朝鮮王朝史9
「朝鮮王朝実録」によると、貞純王后は処罰されることに抵抗して断食したそうだ。祖母がそこまでしているのに、正祖は簡単には処罰できない。なんといっても、朝鮮王朝では儒教が国教だ。「孝」を重視する社会におい…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。 英祖の息子 粛宗は側室の張禧嬪(チャ…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の廃位!激動の朝鮮王朝史7
1592年というと、朝鮮王朝が創設されてから200周年になる。この記念すべき年に朝鮮王朝は存亡の危機を迎えた。豊臣軍の朝鮮出兵があったからだ。そのときの王は14代王の宣祖(ソンジョ)だった。 …詳細を見る -
長今(チャングム)の登場!激動の朝鮮王朝史6
11代王の中宗(チュンジョン)は自分が王になりたくてなったわけではない。それなのに、クーデターを成功させた高官たちは、いきなり中宗に「妻と離縁してください」と要請してきた。妻は中宗の即位にともなって端…詳細を見る -
燕山君(ヨンサングン)の追放!激動の朝鮮王朝史5
9代王の成宗は、1485年に「経国大典」を完成させる。これは、朝鮮王朝の基本法典になった重要な法律書だ。成宗の功績は大変大きいと言える。その長男が悪名高い10代王の燕山君(ヨンサングン)である(燕山君…詳細を見る -
非道な王位強奪事件!激動の朝鮮王朝史4
金宗瑞を倒した首陽大君は端宗の元を訪ねて、脅すような形で王命を発令させて高官を招集する。その際に、高官たちには1人ずつしか通れないような狭い門をわざと指定する。そうしておいて、味方はそのまま入れて、反…詳細を見る -
首陽(スヤン)大君の反乱!激動の朝鮮王朝史3
世宗が1450年に亡くなったあと、彼の長男の文宗(ムンジョン)が王位を継いだ。彼は諡(おくりな)に「文」という字をもらうくらい、学識に優れた王だった。しかし、身体が弱かった。世宗が亡くなるまでの数年間…詳細を見る -
王朝の基盤を作った太宗(テジョン)!激動の朝鮮王朝史2
高麗王朝は一夫多妻制だった。初代王の王建(ワン・ゴン)が30回も結婚した人だから、それも当然のことかもしれない。朝鮮王朝を建国した太祖は、もともと高麗王朝の武将だった。彼のように出世する人は、ほとんど…詳細を見る