英祖(ヨンジョ)の生涯4/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか

 

世子を廃された荘献は、ただ許しを請うばかりで一向に自決しようとはしなかったため、英祖は配下の者に米びつを持ってこさせた。その中に荘献を閉じこめて、「絶対に米びつのフタを開けてはならない」と言った(英祖については、韓国時代劇の史実とフィクションの違いを解説した康熙奉〔カン・ヒボン〕著・実業之日本社発行の『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』で紹介しています)。





米びつで餓死した荘献

荘献は、水も食べ物も与えられないまま米びつの中で過ごした。再び米びつのフタが開かれたのは8日目のことで、荘献は中で餓死していた。世子だった者としてはあまりにもむごい死に方である。
息子の死を知った英祖は、このときになって自分の過ちに気付きとても後悔した。そして、荘献に思悼世子(サドセジャ)という諡(おくりな/死後に贈る尊称)を与えた。この思悼世子には「世子の死を悼(いた)む」という意味がある。こんな立派な諡を贈られた思悼世子だが、あまりにもむごい死に方をしたので、悲劇の王子として名を残している。
思悼世子を死に追いやった老論派が次に狙いを定めたのは、世孫(セソン)に選ばれていた思悼世子の息子の祘だった。「世孫は自分たちを怨んでいるに違いない。王に就けば復讐される」と思っていた老論派は、何としてでも祘が即位することを阻止しなければならなかった。




老論派は、刺客を送ったりして何度も祘の命を狙った。自分の身の危険を感じた祘は常に警戒を怠らず、何か起きたときにすぐに逃げ出せるように服を着たまま寝ていた。10代という若さで極限まで神経を張り詰めなければならなかった祘にとって、辛い境遇だったのは間違いないが、自分が置かれている立場を考えれば仕方がないことだった。
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英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか

「イ・ソン」こと思悼世子(サドセジャ)の悲しい最期!

イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)は夫婦仲が悪かった!

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