英祖(ヨンジョ)の生涯2/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか

 

景宗(キョンジョン)が早世したことで、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の息子だった延礽君(ヨニングン)が21代王・英祖(ヨンジョ)として即位した。彼は、王としてどのような政治を行なったのだろうか。

4年2カ月の在位

老論派(ノロンパ)を追い出していた少論派(ソロンパ)だが、その栄華は長く続かなかった。なぜなら、王である景宗が在位わずか4年2カ月で世を去ってしまったからだ。




彼の後を継ぐのは淑嬪・崔氏の息子の延礽君である。それは、少論派の政権の終焉を意味した。少論派にとって、景宗に子供がいなかったことが一番の痛手だった。
「朝鮮王朝実録」には、景宗の人柄について「幼いころから学問に励み、仁顕(イニョン)王后に孝を尽くした」と書かれていた。彼の母親である張禧嬪(チャン・ヒビン)は、仁顕王后を憎んでいたが、息子の景宗は仁顕王后を心から慕っていた。さらに、異母弟の延礽君の面倒も見ていた。
張禧嬪の息子として生まれてきたことを悩み苦しんでいた景宗だが、他人への思いやりが深い人物だったことは間違いない。(ページ2に続く)

英祖(ヨンジョ)の生涯3/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか

トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(前編)

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