イ・ヨン/孝明世子は148年ぶりの「王の正室が産んだ王子」!

『雲が描いた月明り』についても紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

頭脳明晰で容姿も優れていた

1661年に18代王・顕宗(ヒョンジョン)の正室であった明聖(ミョンソン)王后が長男を出産している。
この王子が後の19代王・粛宗(スクチョン)である。
しかし、1661年を最後に朝鮮王朝の王家では、王の正室が息子をまったく産んでいなかった。




それから148年の歳月が流れた。
1809年、ようやく23代王・純祖の正室であった純元(スヌォン)王后が長男を出産した。
その王子が、『雲が描いた月明り』の主人公にもなっている孝明世子である。
つまり、孝明世子は王家にとって148年ぶりに生まれた大君なのだ。それだけに、王家としても孝明世子にかける期待がとても大きかった。
それに応えて、孝明世子も頭脳明晰で容姿にも優れていたと言われている。しかし、彼は1830年に21歳で亡くなってしまった。
待望の大君だった孝明世子。その生はあまりにも短かった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

イ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)はなぜ早死にしたのか

イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?

https://goo.gl/BtZmbd

孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)はどれほど優秀だったのか?

https://goo.gl/ZsP4Ja

孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)に代表される「世子」とは何か?

イ・ヨン/孝明世子(ヒョミョンセジャ)をめぐる歴史的背景とは何か?



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