餅を食べて容態が悪化
仁宗は大きな期待を集めていた。
頭脳が明晰で、性格も申し分がなかったからである。
しかし、彼は即位して8カ月で亡くなった。まだ30歳だったが、絶食で命を縮めたのかもしれない。
実は、もっと強力な理由がある。
それは、継母の文定王后に毒殺されたというものだ。
文定王后は中宗の三番目の正室で、仁宗は中宗の二番目の正室から生まれた息子だった。自分が産んだ息子をぜひとも王位に就けたくて文定王后が仁宗の殺害をはかった、という伝聞が、野史(民間の間で伝えられた歴史書)にも出てくる。
野史だけでなく、正史である「朝鮮王朝実録」を読んでも、文定王后には怪しい行動が多い。
仁宗が重病に陥る直前、彼は文定王后に呼ばれて餅を食べている。それゆえ、「その餅に毒が……」という疑念が生じた。
真実は闇の中だ。しかし、客観的な事実を積み重ねていくと、文定王后が仁宗を毒殺したという可能性がきわめて高いのだが……。