対立した意見
時は流れ、順調に出世した李成桂は高麗最高の武将と称されていた。
1388年、中国大陸の大国・明(ミン)は高麗に対し、領土の明け渡しを再三要求してきた。そのことに頭を痛めた禑王(ウワン)は重臣たちを一堂に集め、今後の指針を見出そうとして李成桂に尋ねた。
「そなたの働きによって、異民族の侵攻を何度も食い止められた。しかし、奴らは厚顔無恥にも再三我らに領土を献上せよと要求してくる。そなたの武勇をもって奴らを打ち倒し、遼東の地を手に入れてくれないか」
王に武勇を認められるのは、武将にとって最大の名誉のはずだった。しかし、李成桂はその言葉を受け入れるわけにいかなかった。
「遼東への侵攻に反対でございます。まず第一に小国が大国に兵を向けるのは、兵法から見ても間違っているからです。第二に夏の暑さは兵の士気を下げ、いたずらに兵力を消耗してしまいます。第三に連日降り続ける雨の中の遠征では、兵の間で伝染病が発生する恐れがございます。第四に北方の遼東に兵力を傾けたら、南方の倭寇に対する警戒が疎かになります。以上の4つの理由により北伐は中止すべきでございます」
現状を冷静に分析した李成桂の忠言だが、彼の言葉は武将として同格の崔瑩(チェヨン)に遮られた。
「李将軍の言葉は臆病者のたわ言でございます。彼が4つの理由をもって兵を出すことをやめるのならば、私も4つの理由をもって彼の意見を否定しましょう。1つ、明はいま元の残党との戦に集中していること。2つ、そのため遼東の防備が疎かになっていること。3つ、遼東を手に入れたら秋には大量の食糧を入手できること。4つ、明の兵士たちは雨の中の戦いに不慣れなこと。これだけの理由がありながら進軍しないのは、絶対にいけません」(ページ2に続く)
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