自分を恥じる仁祖
仁祖と一緒に1636年12月の清の侵攻を振り返った。
「大軍で攻めてきた清に恐れをなして、あなたは重臣たちと一緒に都の南側にあった南漢山城(ナマンサンソン)に立てこもりましたよね。結局、40日も籠城したあげく、最後は白旗をあげました」
「あのときは、『国が滅んでも徹底的に戦うべきだ』という主戦派と、『謝罪して国を守るべきだ』という講和派が対立して長く籠城する羽目になってしまった。最後は余が決断して降伏することになり、この三田渡で清の皇帝の前でひざまずいて額を地面にこすりつけて謝ったわけだ」
「まったく恥ずかしい姿でした。愚かな外交のツケが回ってきたとしか言いようがありません。そこまで恥をさらしても国王を続けたかったのですか?」
「仕方がなかったのだ。我が王朝は脈々と先王たちによって守られてきたわけで、余がどんなに辱(はずかし)めを受けたとしても、それでも王朝を存続させていかなければならなかった」
「愚かな外交で屈辱的な謝罪をさせられ、王子たちは人質に取られてしまう。それで懲りたはずなのに、あなたはその後も失敗だらけでしたね」
「余には国王としての才能が欠けていたのかもしれないな」
「それを今は自覚するんですか?」
「だから、自分を恥じて今でもここで反省の日々を過ごしているのだ」
「それを言うなら、あなたはもっとひどいことをしているじゃないですか」
「何のことだ?」
「長男の昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)が、人質から解放されて1645年に都に帰ってきましたが、あなたは昭顕世子が清にかぶれたことに激怒して、硯(すずり)まで投げつけたというじゃないですか」
「昭顕世子が清のすばらしさ強調するので、腹が立って仕方がなかったのだ」(ページ3に続く)
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