巧みな外交術
光海君が王宮の再建を急いだのも、王の権威を失墜させないために仕方がなかったとも言える。
さらに、クーデター軍は光海君が民衆の負担を増やしたことを問題視したが、むしろ光海君は納税制度を改善して土地を持たない人たちの税負担を軽くしようとした。民衆に過剰な負担を強いたと断言はできない。
続いて、明に対する背信行為について。
むしろ、光海君は巧みな外交術で国家の危機を回避させた。当時、中国大陸では明から後金(後の清)へ勢力が移り変わっており、光海君は後金から侵略されることを一番警戒していたのだ。
結果的に、光海君は外交上の最善策として、朝鮮王朝が生き残れるようにふるまったと考えられる。
以上のように、クーデター軍が糾弾した3つは、正当とは言えない。しかし、継母の仁穆王后を幽閉した件は責められても仕方がない。(ページ3に続く)
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