脅かされた王位
王になった光海君だが、臨海君や永昌大君を支持する派閥に王位を脅かされ続けた。そこで、光海君派の臣下は、自分たちの権力を確固たるものにするために、1609年に臨海君を殺した。さらに、矛先は永昌大君に向かった。仁穆王后の願いもむなしく、1614年に永昌大君は殺されてしまう。まだ8歳であった。
しかし、光海君派が起こした〝骨肉の争い〟は王位の正当性を疑われる下地を作ってしまう。1623年、光海君は甥が指揮する反乱軍によって王位を追われた。
光海君は最終的に済州島(チェジュド)に流され、そこで18年間生きた後に1641年に生涯を終えた。66歳だった。
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