- 2019-2-18
- 韓国時代劇の登場人物
- 昭顕世子, 朝鮮王朝, 歴史
帰国後わずか2カ月で……
もはや仁祖からすれば、世子夫婦は裏切り者だった。
そんな世子夫婦が8年間の人質生活を終えて、母国に帰ってきた。1645年2月のことだ。
昭顕世子は、久しぶりに会った仁祖に、清と西洋の文化のすばらしさを語った。
激怒した仁祖は、昭顕世子に硯(すずり)を投げつけた。それほど怒りが激しかったのである。
その2カ月後、昭顕世子は高熱を発して倒れた。王族の主治医による鍼治療が行なわれたが、病状が悪化してそのまま亡くなってしまった。
仁祖と趙氏が昭顕世子を毒殺したのではないか、と疑われている。事実、鍼治療を行なった医官は、趙氏の息がかかった者だった。
仮に昭顕世子が存命で、仁祖の後を継いでいれば、王になった彼は清と西洋の先進の文明を朝鮮王朝に取り入れたはずだ。
そうなっていれば、その後の朝鮮王朝はどうなっていたことか。
帰国してわずか2カ月で急死した昭顕世子の短命が惜しまれる。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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