謎の王命を語る粛宗(スクチョン)

側室から王妃になれないという王命

「せっかくここでお会いできたのですから、お聞きしたいことが山ほどあります」
「いや、そちの相手をしている時間はない。どんな美人がお墓参りに来るかもわからないからな」
「それでは、1つだけお聞かせ願えませんか?」
「まあ、1つだったらいいだろう。なにかね」
「『朝鮮王朝実録』の記述によると、あなたは1701年10月7日に『今後は一切、側室から王妃に昇格できないようにせよ』という王命を発していますが、これはとても謎めいていました」
「いったいどこが謎だというのかね」
「1701年10月8日には、亡くなった仁顕王后を呪詛した罪で、張禧嬪に死罪を命じています。その前日に『今後は側室から王妃になれない』との王命を下したということは、標的がたった1人しかいないことになりますよね」
「たった1人とは?」
「まさに淑嬪・崔氏です。仁顕王后が亡くなり、張禧嬪も死罪になれば、その後に王妃になる筆頭候補は淑嬪・崔氏をおいて他にいませんでした。それなのに、側室から王妃になれないという王命を下した。いわば、淑嬪・崔氏を絶対に王妃にしたくなかったから、あんな王命を出したのでは?」




「ずいぶんと鋭いところを突いてくるではないか。もう300年以上も昔のことなので、忘れてしまったなあ」
「とぼけないでください。何百年たっても、忘れるはずがありません。本当のところをぜひ教えてください」
(ページ3に続く)

わがまま放題の19代王・粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝国王列伝19

粛宗(スクチョン)が激怒した張禧嬪(チャン・ヒビン)の母親侮辱事件!

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!

イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?

張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子を後継者にしたかった!




固定ページ:
1

2

3

関連記事

ページ上部へ戻る