張禧嬪(チャン・ヒビン)に惚れ抜いた粛宗(スクチョン)

自己中心的な国王

1688年に張禧嬪は粛宗の息子を産みました。
すると粛宗は高官がみんな反対しているのにもかかわらず、仁顕王后を王宮から追い出そうとします。
張禧嬪を側室から王妃に格上げさせるためです。
「朝鮮王朝実録」には、粛宗が反対する高官たちに語った言葉が残っています。
「中宮(王妃)は妬みがひどすぎて、余は閉口するばかりだ」
「婦人の妬みは昔からあることだが、どうして中宮はそんなに恐ろしいことを平気で言えるのか」
仁顕王后に対する非難のオンパレードです。




読めば読むほど、“これほど自己中心でわがままな男はいない”と思えるほど支離滅裂です。
結局は、我を通して粛宗は仁顕王后を離縁しました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!

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