- 2019-11-20
- 韓国時代劇の登場人物
- 朝鮮王朝, 歴史, 粛宗
王妃に復帰
粛宗の言い訳もしっかり『朝鮮王朝実録』に記されています。こうしてみると、粛宗にとって都合が悪いことが『朝鮮王朝実録』にはたくさん残っているわけです。ちょっとそれを披露してみると……。
「奸臣たちにそそのかされて誤った処分をしてしまったが、今になって悟った」
「これまで辛抱してきたが、ようやく悪い連中を処分できたので、中宮(チュングン/王妃のこと)を迎えることができるようになった」
ものは言い様です。実際には、官僚は誰も粛宗をそそのかしていませんし、彼が辛抱したという事実もありません。
もちろん、悪い連中を処分したということもないのです。張禧嬪に飽きたし、淑嬪・崔氏に懇願されたという結果がすべてなのです。
1694年、仁顕王后は再び王宮に戻ってきました。
廃妃された王妃は何人もいますが、復位できたのは彼女が初めてです。まさに前代未聞の出来事でした。
この年には淑嬪・崔氏が粛宗の息子を産んでいます。この子が後に22代王になる英祖(ヨンジョ)です。
(ページ3に続く)
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をぜひ王妃にしたかった!
粛宗(スクチョン)が激怒した張禧嬪(チャン・ヒビン)の母親侮辱事件!
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子を後継者にしたかった!