朝鮮王朝の悲劇の王「端宗(タンジョン)」の最期とは?

 

11歳で朝鮮王朝の第6代王に即位した端宗(タンジョン)は、1455年に叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われ、さらに流罪となった。その後の彼を待っていた運命はあまりに悲惨であったのだが……。

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あまりにひどい処遇

「朝鮮王朝実録」の1457年10月21日の記録には「魯山君(ノサングン/端宗のこと)は自ら首を絞めて卒する。礼をもって弔った」と書かれている。
しかし、事実とは違うようだ。
端宗が流罪となった場所は、かつて王だった人が住むにはあまりに悲しいほどの僻地だった。しかも、そこでの端宗の処遇はひどかった。身を拘束されたばかりか、食事もあまりに粗末だった。




端宗をそのように扱っていた世祖が、礼をもって端宗を弔うはずがない。
もう一つの正史となる「承政院日記」には「魯山君は死罪になった」と明白に書かれている。
(ページ2に続く)

王位が危うくなった端宗(タンジョン)は首陽大君(スヤンデグン)を牽制した!

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