- 2022-4-15
- 韓国時代劇の登場人物
- 世祖, 朝鮮王朝, 歴史
野望をかなえるために
首陽大君が暴挙に出なければ、15世紀なかばの朝鮮王朝は、他のどの時代よりも平和で静かな時期であったことだろう。
しかし、現実はまったく逆になった。
首陽大君が王位に執着して政敵を徹底的に排除したことによって、朝鮮王朝は血で塗られてしまった。
すべては、首陽大君が野望をたぎらせたことが原因だった。
そうした野望をかなえるためなら、首陽大君は手段を選ばなかった。
当時、兄が在位2年で世を去ったあとに王位に就いたのは、首陽大君の甥の端宗(タンジョン)だった。
まだ11歳である。
叔父であるならば、首陽大君も王族の一員として幼い甥をしっかり補佐するのが役目であった。
しかし、首陽大君はそうしなかった。
むしろ、反逆した。
1453年、首陽大君は朝鮮王朝の政権中枢を担っていた金宗瑞(キム・ジョンソ)を自ら襲撃した。
その後には、有能な政治家を次々と殺し、甥から王座を奪った。
1455年、首陽大君は7代王・世祖(セジョ)となった。
彼は後に、地方に流罪にした端宗を最後には死罪にしている。血も涙もない叔父と言われても仕方がないであろう。
その後、世祖はかねてから準備していた王権強化政策を次々に実行した。内閣の権限を弱めて、王の直属の役所の機能を強化した。
結果的に、世祖が即位していた13年間(1455~1468年)は、朝鮮王朝の歴史の中で最も王権が強大だった時期となった。
しかし、儒教によって思想的に統治されていた朝鮮王朝は、その道徳的な倫理観を傷つけられてしまったのである。
首陽大君(スヤンテグン)〔世祖(セジョ)〕が開いた秘密会議!