貞明公主!苦難を乗り越えて大地主になった王女

 

ドラマ『華政』(ファジョン)の主人公になっている貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。王である仁祖(インジョ)に歯向かう勝ち気な女性として描かれているが、実際の貞明公主はどんな女性だったのだろうか。




公主と翁主

王女にも2種類がある。
王の正室から生まれた王女は「公主」と呼ばれ、王の側室から生まれた王女は「翁主(オンジュ)」と呼ばれた。
公主と翁主では、格がまるで違う。
それだけ、王族の中でも公主は一目置かれる。
ちなみに、王子にも2種類あって、王の正室から生まれた王子は「大君(テグン)」と呼ばれ、王の側室から生まれた王子は「君(クン)」と呼ばれた。
名前からして、光海君(クァンヘグン)が王の側室から生まれたことがわかる。
王子であれば、王位の継承権を得られる場合があるが、王女ならば絶対に継承権を得られない。
普通の王女は、10代なかばまでに名家の御曹司と結婚して、王宮の外で静かに暮らすというのが通常のしきたりだった。
しかし、貞明公主の場合はかなり異例だった。




彼女は10代のほとんどが軟禁状態になっていた。光海君によって、母の仁穆(インモク)王后と一緒に離宮に幽閉されたからだ。
1623年、光海君が廃位となって仁祖が即位したことで、仁穆王后と貞明公主の幽閉が解かれた。
そのときに、貞明公主は20歳になっていた。
王女としては完全に婚期が遅れてしまっていた。それも、幽閉されていたので仕方がなかった。
(ページ2に続く)

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