- 2021-5-28
- 韓国時代劇の登場人物
- 仁祖, 光海君, 朝鮮王朝, 歴史
1623年、15代王の光海君(クゥンヘグン)は、仁祖(インジョ)が起こしたクーデターによって王宮を追放された。このとき、光海君は斬首にされても仕方がなかった。しかし、仁祖は絶対にそうしなかった。それはなぜなのか。
クーデターが成功
1623年3月13日の明け方、仁祖に統率された兵士たちは王宮に入り込み、重要な拠点を占拠した。
虚をつかれた光海君は、抵抗もできず、王宮から逃げるしかなかった。仁祖への内通者がたくさんいたことが光海君にとっては痛手だった。
新しく王宮の主になった仁祖は、クーデターの正統性を明確に示す必要があった。彼は、光海君によって慶運宮(キョンウングン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉されていた仁穆(インモク)王后を訪ねた。彼女から強力なお墨付きをもらうためである。
仁穆王后はわが子を殺した光海君に強い怨みを持っていた。
それゆえ、すぐに仁穆王后が、クーデターへの大義名分を与えてくれるものと仁祖は楽観していた。
しかし、仁穆王后は1つの条件を出した。
それは仁祖にとって難題だった。
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仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!
仁祖(インジョ)の狡猾な性格が貞明(チョンミョン)公主を追い詰めた!