タグ:朝鮮王朝
-
「イ・ソン」こと思悼世子(サドセジャ)の悲しい最期!
朝鮮王朝の王家の中でイ・ソンといえば、思悼世子(サドセジャ)のことだ。史実においては、彼の悲劇的な最期があまりに有名だ。 謀反を告発された世子 イ・ソンは1735年に英祖(…詳細を見る -
燕山君の暴政はどれだけ酷かったのか
最悪の暴君として知られる10代王・燕山君(ヨンサングン)。彼は、父親の9代王・成宗(ソンジョン)の後を継いで王となったのだが、なぜ暴君と呼ばれるようになってしまったのだろうか。 執念深い燕山…詳細を見る -
イニョン王妃の復活と死!チャン・ヒビンに呪われたのか
19代王の粛宗(スクチョン)が熱望した跡取りの王子を側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)が1688年に出産した。すると、翌年に粛宗は非情にもイニョン(仁顕)王妃を廃妃(ペビ)にしてしまった。空いた王妃の座に…詳細を見る -
イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?
1681年、イニョン(仁顕)王妃は粛宗(スクチョン)の二番目の正室となった。彼女はあまりに人が良すぎた。というのは、粛宗の寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)が王宮から追い出されたときに、同情を示したので…詳細を見る -
光海君は廃位になるほどの悪政をしたのか?
1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君を王宮から追い出すとき、光海君の悪政として4つの点を糾弾した。果たして、その4つは正当な根拠があると言えるのだろうか。 [caption …詳細を見る -
数々の悲劇に耐えた貞明(チョンミョン)公主!
貞明(チョンミョン)公主は、韓国時代劇『華政(ファジョン)』に主人公として登場しているが、実際にもドラマのような波瀾万丈の日々を過ごした。数々の悲劇に耐えた女性だったのである。 [caption…詳細を見る -
貞明(チョンミョン)公主の危機!仁祖に執拗にいじめられた
1623年に仁祖(インジョ)はクーデターを起こして光海君(クァンヘグン)を追放して自分が即位した。それによって、幽閉されていた仁穆(インモク)王后と貞明(チョンミョン)公主も解放された。 [ca…詳細を見る -
利発な貞明(チョンミョン)公主は才能豊かな女性だった
貞明公主の父は、14代王・宣祖(ソンジョ)である。彼の最初の正室・懿仁(ウィイン)王后は1600年に亡くなり、仁穆(インモク)王后を継妃として迎えた。その仁穆王后が1603年に産んだのが貞明公主だ。 …詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?
光海君(クァンヘグン)は1575年に生まれていて、仁祖(インジョ)は1595年の生まれだ。年齢はちょうど20歳違う。親戚関係で言うと、光海君が伯父で、仁祖は甥になる。2人は共に国王であったが、その統治…詳細を見る -
廃位となった光海君(クァンヘグン)の最期の地は済州島だった!
朝鮮王朝の15代王・光海君(クァンヘグン)。彼は1623年に仁祖(インジョ)が起こしたクーデターで王宮を追われ、廃位となってしまった。その後の彼が最後に流されたのが、極悪人の流刑地として知られた済州島…詳細を見る