タグ:歴史
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人質から帰った昭顕(ソヒョン)世子を仁祖(インジョ)はどう迎えた?
1636年12月、強大な清は大軍で朝鮮王朝を攻めた。朝鮮王朝はあえなく降伏。16代王の仁祖(インジョ)は、清の皇帝の前で頭を地面にこすりつけて謝罪した。ここまで王が屈辱を受けたのは、建国以来一度もなか…詳細を見る -
外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?
光海君(クァンヘグン)は1623年にクーデターで廃位となりましたので、暴君というイメージが付いてまわりました。しかし、歴史研究が進む中で、暴君どころか逆に政治的な業績が多い王であったという評価が出てい…詳細を見る -
文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の悪行を暴く!
朝鮮王朝時代に王宮で起こった奇怪な事件として有名な「灼鼠(しゃくそ)の変」。この事件は韓国時代劇でも何度か取り上げられたが、どの作品でも文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が共謀して起…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)はなぜ端敬(タンギョン)王后を守れなかったのか
燕山君(ヨンサングン)を廃位にするためのクーデターは1506年に起こりました。主導した高官たちには、大義名分が必要でした。いくらひどい王でも追放するとなると、大義名分が重要なのです。そこでクーデター軍…詳細を見る -
イ・ヨンの父の純祖(スンジョ)!気弱な王に何ができたのか
『雲が描いた月明り』に登場した23代王・純祖(スンジョ)。名君と呼ばれた22代王の正祖(チョンジョ)の後を継いで王となり、周囲から多くの期待を受けたが、純祖の性格はあまりにも気弱だった。 [ca…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)は本当に兄の景宗を毒殺したのか?
1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去り、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗(キョンジョン)が20代王として即位した。トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が産んだ英祖(ヨンジョ)はこの…詳細を見る -
華麗なファン・ジニ(黄真伊)の人生は謎に包まれている!
ファン・ジニ(黄真伊)は、両班(ヤンバン/朝鮮王朝時代の貴族階級)の庶子として、16世紀前半に松都(ソンド/現在の開城〔ケソン〕)で生まれた(正確な生年は不明)。身分制度が厳格だった朝鮮王朝だけに、庶…詳細を見る -
ハングルを作った世宗(セジョン)の偉大さがよくわかる
1446年、朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)が民族固有の文字「訓民正音(フンミンジョンウム)」を公布した。この「訓民正音」は“民に教える正しい発音”という意味である。 高官…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)に自決を命じた!
朝鮮王朝で起こった悲劇の筆頭は、英祖(ヨンジョ)が息子のイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)を餓死させた事件だ。素行が悪かったイ・ソンに英祖は腹を立てていたが、イ・ソンに謀反の疑いがあるという告発も出て…詳細を見る -
李舜臣(イ・スンシン)は英雄物語の最高峰!
1592年、大陸制覇の野望を抱いた豊臣秀吉が諸大名を動員して朝鮮半島に攻め入ったとき、朝鮮王朝は創設200年を迎えていました。この200年は外敵の侵攻がほとんどなく、穏やかな期間でした。逆に言えば、国…詳細を見る