タグ:歴史
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仁祖(インジョ)はなぜ趙氏(チョシ)をあれほど寵愛したのか
仁祖(インジョ)の側室として王宮の中で横暴にふるまったのが趙氏(チョシ)だった。彼女は昭容(ソヨン/側室に与えられる正三品の品階)のときは昭容(ソヨン)・趙氏(チョシ)と呼ばれ、貴人(キイン/側室に与…詳細を見る -
宗廟(チョンミョ)/朝鮮王朝王宮探訪6
宗廟(チョンミョ)は正確に言うと王宮ではありません。しかし、ある意味では王宮以上に重要な場所でした。なぜなら、ここには朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌が丁重に祀られているからなのです。 [capt…詳細を見る -
慶熙宮(キョンヒグン)/朝鮮王朝王宮探訪5
朝鮮王朝の「五大古宮」の中で一番規模が小さいのが慶熙宮(キョンヒグン)です。五大古宮の中では最も西側に位置しています。ここも、歴史に翻弄されて様々な運命をたどっています。 [caption id…詳細を見る -
徳寿宮(トクスグン)/朝鮮王朝王宮探訪4
徳寿宮が誕生する過程には、朝鮮王朝の王位継承に関する逸話がありました。それは、1469年のことです。8代王の睿宗(イェジョン)は即位して1年あまりで亡くなってしまいました。あまりにも突然の死であったた…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(後編)
そんな張禧嬪(チャン・ヒビン)にとってショックな出来事が起こる。1694年9月20日に淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が息子を産んだのだ。この息子が、後の21代王・英祖(ヨンジョ)になる延礽君(ヨニング…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(中編)
政権の内部では仁顕(イニョン)王后が属する西人派(ソインパ)と、張禧嬪(チャン・ヒビン)が属する南人派(ナミンパ)が派閥の主導権争いをしていた。最初は、仁顕王后の後ろ盾があったことで優位にたっていた西…詳細を見る -
トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(前編)
朝鮮王朝三大悪女の1人として知られている張禧嬪(チャン・ヒビン)は、1659年に生まれ、女官として王宮に入った。とても美しい女性として評判だった張禧嬪が、19代王・粛宗(スクチョン)に見初められたのは…詳細を見る -
昌慶宮(チャンギョングン)/朝鮮王朝王宮探訪3
ハングルを自ら創製したことでも知られる4代王の世宗(セジョン)。朝鮮王朝最高の聖君と称されています。彼はもともと3代王・太宗(テジョン)の三男でした。長男をさしおいて自分を王に指名してくれたことを父に…詳細を見る -
昌徳宮(チャンドックン)/朝鮮王朝王宮探訪2
1400年に朝鮮王朝の3代王となった太宗(テジョン)は、王の威厳を示すために、大きな仕事をしたがりました。その願望をかなえるために1405年に建設したのが、景福宮(キョンボックン)の離宮となった昌徳宮…詳細を見る -
「朝鮮王朝三大悪女」よりもっと強烈な悪女とは?
一般的に「朝鮮王朝三大悪女」と言われているのは、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)の3人だ。しかし、朝鮮王朝時代には権力を握った巨悪がまだいたのだ。それは…詳細を見る