タグ:歴史
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〔物語〕もし光海君(クァンヘグン)が現代に甦ったら何を語る?
光海君(クァンヘグン)とは誰か? 生没年は1575年~1641年。14代王・宣祖(ソンジョ)の息子として生まれ、1608年に15代王として即位した。巧みな外交と減税政策で、王としての功績は大きかった…詳細を見る -
『テバク』の歴史解説/粛宗(スクチョン)の後継者争い
韓国版の『テバク』第10話は、1717年の朝鮮王朝が舞台になっていた。当時は、19代王・粛宗(スクチョン)の後継者争いが大変激化していた。それは『テバク』のストーリーで描かれている通りである。この時期…詳細を見る -
〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は、初代王・太祖(テジョ)として即位した。彼が盤石な王政を築けたのは、妻の神懿(シンイ)王后から生まれた芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンイ…詳細を見る -
〔物語〕イ・ソンゲ(李成桂)の人生!朝鮮王朝の初代王
韓国時代劇の8割以上は朝鮮王朝時代が舞台になっている。それだけに、朝鮮王朝の歴史がわかれば、さらに面白く時代劇を見られる。特に、王朝絵巻の主役は27人の王。そうした歴代の王は、果たしてどのような時代を…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)が燕山君(ヨンサングン)に代わって王になった日!
1506年、暴君・燕山君(ヨンサングン)の最悪な政治に危機感を持った高官たちがクーデターを起こした。彼らはまず、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)を訪ねた。燕山君の後に王位に就いてもらう…詳細を見る -
〔物語〕張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!
19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する…詳細を見る -
文定(ムンジョン)王后が継母だったことが仁宗(インジョン)の悲劇!
朝鮮王朝は儒教を国教にしていたが、儒教の最高の徳目と言われたのが「仁」である。この漢字を諡(おくりな/死後の尊号)につけているのが12代王の仁宗(インジョン)だ。「彼ほど親孝行な王族はいない」と言われ…詳細を見る -
イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の五男が李芳遠(イ・バンウォン)である。李成桂には8人の息子がいたが、兄弟の中でこの李芳遠の実力が抜きんでていた。 [caption id=…詳細を見る -
イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!
1392年に創設された朝鮮王朝の初代王は李成桂(イ・ソンゲ)だが、建国に尽力した最大の功労者は、李成桂の五男の李芳遠(イ・バンウォン)と儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。2人はやがて敵対する…詳細を見る -
イ・ソンゲ/李成桂が行なった歴史的な「威化島回軍」
高麗王朝の末期、1335年生まれの李成桂(イ・ソンゲ)は、最上位の将軍にのぼりつめていた。1388年、中国大陸の明(ミン)と高麗との間に領土紛争が起こった。高麗王は重臣たちを集めて善後策を協議した。そ…詳細を見る