派閥争いに苦しんだ18代王・顕宗(ヒョンジョン)/朝鮮王朝国王列伝18

 

生没年/1641年~1674年
在位/1659年~1674年

1659年、17代王・孝宗(ヒョジョン)が世を去り、彼の長男が18代王・顕宗(ヒョンジョン)として即位した。

政権内の争いに悩まされた王

顕宗は、父・孝宗の悲願だった清の打倒をあきらめ、巨費がかかる軍事力の強化を中断した。しかし、平和な時代になると、宮中では権力欲にかられた臣下たちが熾烈な派閥争いをするようになった。
顕宗はそうした争いに怒り、関係した高官たちに何度も厳しい処罰を与えた。しかし、大規模な葬儀の実施方法や服喪期間などをめぐって高官たちの論争はやまず、その度に国政はおろそかになった。




それでも、異民族の侵攻や地方での反乱が起きなかったのは幸いだった。もし、そういう国難があっても、当時の政権では一枚岩になれなかっただろう。
顕宗は1674年に33歳で亡くなるまで、政権内の派閥争いに悩まされた。

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