叔父が甥から王位を奪うという「王位強奪事件」を中心に、15世紀中盤以降の朝鮮王朝の歴史をたどっていきます。
◆1450年から1456年まで
〔1450年〕2月に世宗(セ)(ジョン)が53歳で亡くなり、長男が5代王・文宗(ムン)(ジョン)として36歳で即位。学識に優れた王だったが、あまりに病弱だった。
〔1452年〕文宗が亡くなり、長男が6代王・端宗(タン)(ジョン)として即位。まだ11歳なので、本来なら王族の長老女性が摂政をすべきだったのだが、端宗の母は彼を出産直後に亡くなっており、摂政の適任者がいなかった。
〔1453年〕世宗の次男で文宗の弟だった首陽大君(ス)(ヤン)(デ)(グン)が露骨に王位奪取に野心を見せて、端宗の後見人だった金宗瑞(キム)(ジョン)(ソ)を殺害。クーデターを成功させて政権を掌握する。歴史的には、「癸酉靖難(ケ)(ユ)(ジョン)(ナン)」と呼ばれている。
〔1455年〕首陽大君が端宗を退位させて7代王・世祖(セ)(ジョ)となる。端宗は上王となったが実権は一つもなかった。世祖は自分の王位獲得に貢献した側近たちを政権中枢に取り立てる。彼らは長く利権を独占し、新進の若手官僚たちの不満が高まる。
〔1456年〕世宗を側近として支えた成三問(ソン)(サム)(ムン)を中心に、端宗の復位を狙ったクーデターを計画。しかし、失敗してしまい、首謀者たちが処刑される。彼らの忠義の心は後に「死六臣(サ)(ユク)(シン)」として称賛される。