〔物語〕イ・ヨン(孝明世子)はどれほど優秀だったのか?

 

『雲が描いた月明り』の主人公になっていたイ・ヨンは孝明世子と呼ばれた。彼は23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれたが、5歳で世子になり、頭脳明晰な後継ぎとして有名だった。

写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより

政治の経験を積ませるために

世子といえば未来の国王だ。早くから英才教育が施されるが、孝明世子は幼いころから賢明で、わずか8歳で最高学府の成均館(ソンギュングァン)に入学して、さらに学問を積んだ。
彼の優秀さは官僚たちの間でも評判になり、父親の純祖はわずか18歳の息子に代理聴政(テリチョンジョン)を命じた。
この代理聴政には2種類あった。




1つは、未成年の国王が即位したときに王族の最長老女性が代理で政治を仕切る場合だ。実際、朝鮮王朝では幼い年齢で即位した王が何人もいたので、その際には代理聴政が行なわれている。
もう1つは、国王の病状が悪化したときに世子が代理聴政をする例だ。純祖の父親の正祖(チョンジョ)も先の王の英祖(ヨンジョ)が患ったときに代理聴政をしている。こういうケースも稀にあった。
ただし、純祖の場合は病状が悪化していたわけではなかった。むしろ、純祖は孝明世子の才能を高く買っていて、早くから政治の表舞台で経験を積ませたいと考えたのだ。
(ページ2に続く)

イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?

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イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)の父の純祖(スンジョ)は誰?

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