◆1457年から1485年まで
〔1457年〕端宗の復位を狙う動きを警戒した世祖は、甥の端宗を平民に降格させて、さらに死罪に処す。「悲劇の王」はわずか16歳で絶命する。
〔1460年〕朝鮮王朝の法律を集大成するために「経国大典」の編纂が始まる。
〔1468年〕世祖が51歳で世を去る。彼の長男は、19歳のときにすでに亡くなっていたので、次男が8代王・睿宗(イェ)(ジョン)となる。
〔1469年〕睿宗が19歳で亡くなる。在位わずか1年2カ月だった。世祖の息子は2人とも19歳で世を去ったことになるが、「甥から王座を奪った世祖の因果応報に違いない」と庶民たちは噂する。世祖の孫が即位して9代王・成宗(ソン)(ジョン)となる。世祖の正妻だった貞憙(チョン)(ヒ)王后が摂政を行なう。しかし、成宗の治世に影響を及ぼしたのは、彼の生母の仁粋(イン)(ス)大妃である(大妃とは王の母を表す尊称)。
〔1479年〕 成宗の正妻の尹(ユン)氏が廃妃になる。この決定の背後でも、仁粋大妃が大きな影響力を行使する。
〔1482年〕廃妃となっていた尹氏が死罪となる。この出来事が、後の大虐殺事件の端緒となってしまう。
〔1485年〕編纂開始から25年目、ようやく「経国大典」が完成。これによって、あらゆる分野の法制度が確定し、朝鮮王朝は法治国家としての体制を整えた。
年表作成=康 熙奉(カン・ヒボン)