朝鮮王朝実録を読む3/「燕山君の追放」と「光海君の廃位」

◆1623年3月13日の記述

(15代王・光海君〔クァンヘグン〕を王宮から追放する大義名分になったのは、光海君が継母の仁穆〔インモク〕王后を幽閉した不孝を罰するということだった。我が子を光海君に殺された仁穆王后は怒りの声を挙げる)
「私は薄幸の運命を持っていて大変な災いを受けました。逆魁(ヨククェ/光海君のこと)は私の幼い息子を殺害して私を別宮に幽閉しました。長い間隔離されて、どんな消息も耳に入ってこなかったのに、まさか今日のような日がくるとは、夢にも思いませんでした。(クーデターを成功させたという)功労をどのように讃えれば良いのでしょうか」




「私には徳が少なくて、母子の道理を尽くすことができませんでした。しかも、倫理は崩れ、国家は滅びる寸前でした。こうして国家は安定を取り戻し、怨みも晴らせました。こんなに感激することが他にありますか。でも、気になるのが憎き逆魁の父子が今どこにいるかということ。同じ空の下で一緒に住むことができない仇(かたき)です。ここまで私が耐えてこられたのも、直接彼らの首を斬り落としたいという願いがあったからです。逆魁が自分で母子の道理を破り、私にはかならず晴らさなければならない怨みがあり、これだけは絶対に譲ることができないのです」

翻訳=康 熙奉(カン ヒボン)

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