キリスト教徒の大虐殺事件
次に挙げる巨悪は、貞純(チョンスン)王后〔1745~1805年〕だ。
21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻だったが、彼女は英祖より年齢が51歳も年下だった。
なにしろ、英祖の息子であった思悼(サド)世子が10歳上なのである。ところが、相性が悪かったこともあり、思悼世子の失脚をはかって陰で動いた。
結局、思悼世子は米びつの中で餓死した。
貞純王后は、22代王・正祖(チョンジョ)の時代になって辛うじて罪をのがれたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺説の首謀者と見なされた。
正祖の後を10歳の純祖(スンジョ)が継ぐと、貞純王后は未成年の王の後見人となり、正祖が進めていた改革をすべてつぶしてしまった。
また、キリスト教徒の大虐殺事件を引き起こしている。
その理由は、政敵にキリスト教徒が多かった、ということだった。その悪政のせいで、多くの人が命を奪われた。
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