空席となった王妃の座
自分の息子が王になることを望んでいた張禧嬪。その息子は、後に20代王・景宗(キョンジョン)として即位するので、張禧嬪の望みは叶ったことになる。
しかし、景宗には子供ができなかった。張禧嬪が彼の下腹部を強く握ったことが関係したのかどうか。
仁顕王后が亡くなり、張禧嬪も死罪になったため、王妃の座は再び空席となった。このとき、一番王妃になる可能性が高かったのは淑嬪・崔氏だが、彼女は生まれたときの身分が低すぎたために、ずっと側室のままだった。
女官として王宮に入った張禧嬪は、王妃になるという朝鮮王朝で最高の栄誉を手にした。最終的に死罪となってしまった張禧嬪だが、彼女も粛宗によって振り回された被害者の1人と言えるのではないだろうか。
文=康 大地(コウ ダイチ)