1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。
我が子の将来のために
粛宗の母の明聖(ミョンソン)王后は張禧嬪を毛嫌いした。美貌に隠された野心を見抜いたからである。
「あの女は良からぬことを考えている。宮中にこのままいさせてはならぬ」
明聖王后は、粛宗が張禧嬪に心を奪われていることが我慢できなかった。我が子の将来を憂い、その元凶となりそうな芽は早めに摘んでおきたいと考えた。
当時、粛宗の正室は仁顕(イニョン)王后だった。
明聖王后は仁顕王后に言った。
「あの女は毒々しくて悪だくみをしそうですよ。主上(チュサン/王のこと)が最近感情の起伏が激しくなってきたけれど、もしあの女にそそのかされているのならば、国家にとってもわざわいです」
ここまで明聖王后は張禧嬪を嫌悪していたのである。(ページ2に続く)
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか