1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の五男が李芳遠(イ・バンウォン)である。李成桂には8人の息子がいたが、兄弟の中でこの李芳遠の実力が抜きんでていた。
乱を起こした李芳遠
朝鮮王朝の初代王となった李成桂は、息子たちの中で誰に王位を譲るかを考えた結果、八男の芳碩(バンソク)を後継者に指名して世子(セジャ)にした。そのときの芳碩は、まだ10歳にすぎなかった。生母の神徳(シンドク)王后に懇願されたことが、李成桂が芳碩を選んだ大きな理由だった。
異母弟に世子を奪われた李芳遠。朝鮮王朝が建国したときは25歳であり、政敵を排除するうえで彼の功績はとても大きかった。
そのことは父親の李成桂も認めていた。本来であれば李芳遠を世子にするのが当たり前であったが、李成桂は王としての冷静な決断ができなかった。
結局、1398年に李芳遠は乱を起こして世子だった芳碩を殺害し、さらにその後見人であった鄭道伝(チョン・ドジョン)も排除している。
つまり、李芳遠が起こした乱によって、李成桂は世子の息子と一番頼りにしていた側近を失ったのである。(ページ2に続く)
イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!