確執を乗り越えた朝鮮王朝
怒りが収まらない李成桂は、李芳遠が送ってくる使者をことごとく殺害してしまい、決して李芳遠を許そうとはしなかった。
そういう状況で何年もの時が経ち、朝鮮王朝は創設者の李成桂と最大実力者の李芳遠が対立するという構図が続いてしまった。
これは王朝の安泰にもよくないことだ。李成桂が信頼する無学大師(ムハクテサ)が説得にあたり、李成桂も怒りが解けないまま王朝のためということで、李芳遠に玉璽などを渡すことにした。
とはいっても、心情的に李成桂が李芳遠を許したわけではなかった。怒りは終生、李成桂の胸に強く残っていた。
1408年、李成桂は73歳で世を去った。これで李芳遠は何の遠慮もなくなり、自分の思うがままに政治を仕切っていった。
それによって王朝の基盤ができあがり、518年も続く長寿王朝になったのである。
確かに李成桂と李芳遠の確執は強かったが、それを乗り越えて朝鮮王朝は発展していったのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!