不可解な仁祖
昭顕世子の妻であった姜(カン)氏は、夫が何者かによって毒殺されたと確信した。なにしろ、昭顕世子の遺体は毒殺されたかのように黒ずんでいたからだ。
「あれほど元気だったのに、帰国してわずか2カ月で亡くなるなんて……。信じられません。毒殺されたのです」
実際、宮中では昭顕世子が毒殺されたという噂が一気に広まった。
官僚の不正を糾弾する役所の司憲府(サホンブ)と王に諫言する役割を担う司諫院(サガンブ)が動いた。
「毒殺の噂が出ています。調べてみなければなりません」
役所も事実の究明に動こうとした。
しかし、仁祖がその動きを止めてしまった。
彼は噂のもみ消しをはかったのである。
それは、実に不可解な態度だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
記事提供:「歴史カン・ヒボン」http://kanhibon.com/
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