大妃となった恵慶宮
「恨中録」の中で恵慶宮は自分の実家の正当性を繰り返し強調する一方で、夫のイ・ソンの素行の悪さを強調している。
そこには、夫をかばおうとする妻の姿はない。むしろ、夫が1762年に英祖によって米びつに閉じ込められて餓死したのも、「素行の悪さをとがめられた結果」と断じている。そうした姿勢から見えてくるのは夫婦仲の悪さだ。
イ・ソンは生存中には多くの側室を抱える一方で、恵慶宮には冷たかったという。こうした夫婦関係は周知の事実だった。
結婚当初はイ・ソンの聡明さを絶賛していた恵慶宮。しかし、結婚生活が長く続く中で、彼女はイ・ソンに厳しい目を向けるようになった。
イ・ソンが英祖によって米びつに閉じ込められたときも、恵慶宮が具体的に夫の助命に動いた形跡がない。世子の妻としての限界があったのかもしれないが、やはり恵慶宮がイ・ソンを心から信頼していなかったことは明らかだ。
恵慶宮は、夫より息子と実家を守ることに熱心だった。その甲斐があって、息子のイ・サンは22代王・正祖として即位できた。それによって、恵慶宮は大妃(王の母)という栄誉を得た。
世子であった夫の死で、約束されたはずの「王妃」にはなれなかったのだが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか
〔物語〕もし思悼世子(サドセジャ)が現代に甦ったら何を語る?