優れた人材を生かした正祖
政治的には、正祖の人材活用術は見事だった。彼は王になる前から、優れた人材でも身分によって出世の道を阻まれているところを何度も見てきた。正祖はこうした悪習を改めるために、奎章閣(キュジャンガク)と呼ばれる場所を作った。
ここは王族の歴代の資料を保管・整理する官庁であるが、そこに優れた人材を積極的に集めて研究を促した。その結果、さまざまな実学が発展する基礎が築かれた。
また、正祖は風水地理的に優れた水原(スウォン)に父の墓を移し、その地に華城(ファソン)という城郭を建設した。この華城は今や世界遺産となって多くの観光客を集めている。
それだけ名君としての素質を見せた正祖は1800年に世を去っている。彼の死を看取ったのは、宿敵だった貞純(チョンスン)王后だけだった。
そのため、貞純王后が毒殺したという説が一番有力なのだが、その真相は明らかになっていない。