朝鮮王朝の悲惨な五大王妃

悲惨な2人

次に2人の王妃を取り上げる。

◆廃妃・柳氏(ユシ)
〔1576~1623年〕
15代王・光海君(クァンヘグン)の正室。夫が1623年にクーデターで廃位となり、夫と一緒に江華島(カンファドド)に流罪となった。途上の船上で光海君に対し「潔く海に飛び込んで死にましょう!」と呼びかけたが拒否された。流罪は息子夫婦と一緒だったが、息子夫婦が島からの逃亡に失敗して絶命。そのことを悲観して柳氏も自ら命を絶ってしまった。

◆明成(ミョンソン)皇后
〔1851~1895年〕
26代王・高宗(コジョン)の正室。元来が聡明な女性で、政治にも積極的な関与。高宗の父の興宣大院君(フンソンデウォングン)と対立したが、ロシアに近づいて日本に対抗しようとした。1895年、日本の勢力によって王宮の中で殺害された。




以上の5人が「悲惨な五大王妃」である。彼女たちにとっては、王妃になったこと自体が不幸の始まりであった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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