李成桂(イ・ソンゲ)が太祖(テジョ)として即位!

危険な火種

特に注目すべき存在は五男の芳遠(バンウォン)で、太祖が敵対勢力を排除して王になる上で最も貢献した息子です。芳遠は当然、「次の王には自分が指名される」と確信していました。
ところが、太祖が指名したのは神徳王后が産んだ八男の芳碩(バンソク)で、まだ10歳でした。最有力候補だった芳遠は25歳ですから、どう考えても騒動になります。王朝が創設早々に崩壊する危険性があるので、王の後継者は慎重に選ばなければいけないところなのですが……。
太祖がこんな決定をした背後には、神徳王后の存在があります。彼女にあまりに懇願されて、太祖も判断を誤ったものと思われます。彼は自ら、危険な火種を作ってしまったわけです。
朝鮮王朝創設の際に、太祖が一番頼った側近が儒教学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)です。彼は、制度や組織をまとめる活躍をした第一の功臣でした。




この鄭道伝は芳碩の後見人でもあり、母親である神徳王后から「くれぐれも息子をよろしく」と頼りにされていました。
(ページ3に続く)

〔物語〕イ・ソンゲ(李成桂)の人生!朝鮮王朝の初代王

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