- 2019-10-23
- 韓国時代劇の登場人物
- 朝鮮王朝, 李成桂, 歴史
王子の乱
神徳王后が普通に長生きしていれば間違いなく芳碩が2代王になったはずです。
ところが、神徳王后は1396年に亡くなり、芳碩は後ろ盾を失ってしまいました。その隙を見逃さず、ここぞと出てきたのが武闘派の芳遠です。
彼は1398年に一気に異母弟たちを排除するクーデターを起こしますが、それには伏線があります。最初に行動を起こしたのは鄭道伝のほうでした。彼は、王が病気だからみんな王宮に集まれという伝令を王子たちに送ります。そうやって集めた神懿王后の息子たちを一網打尽で排除するという策略でした。
それを見抜いた芳遠は逆に切り返し、鄭道伝を殺しました。
芳遠はさらに、神徳王后が産んだ異母弟の2人を殺害します。特に八男の芳碩は本来は王の後継者だったわけですから、父である太祖の怒りは尋常ではなかったのですが、すでに芳遠は王朝の最高実力者になっていて、さしもの初代王も芳遠を認めざるをえませんでした。この政変の結果、1398年に病身の李成桂は退位しました。
ここからが芳遠の賢いところなのですが、彼は五男の自分がいきなり王になると波風が立ちすぎるので、兄の芳果(バングァ/太祖の二男)を2代王に推挙し、自分は後ろから王を操ろうと考えました。
こうして、芳果が2代王・定宗(チョンジョン)になりました。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執