- 2020-3-6
- 韓国時代劇の登場人物
- 朝鮮王朝, 正祖, 歴史
疑惑の張本人
異様な巡り合わせが憶測を生み、正祖の死後には「貞純王后によって毒殺された」という噂が宮中に流れるようになった。
根拠は、「正祖の死によって一番の恩恵を受けたのが貞純王后であったこと」「彼女が正祖のもとに薬を届ける機会があったこと」「臨終の場にただ1人で立ち会ったこと」などである。
真相は定かでないが、貞純王后には疑われるだけの理由がありすぎた。
実際、正祖が亡きあとの朝鮮王朝は、貞純王后の思うがままになった。後継者の23代王・純祖(スンジョ)がまだ10歳だったために、貞純王后は王族の最年長という立場を利用して政治を代行した。
これが、朝鮮王朝にとっては不運だった。
貞純王后は政治の実権を握ると、正祖が重用した高官たちを次々に罷免(ひめん)して、自分の一派に重職を与えた。そのうえで、正祖が進めた新しい制度や法律をガラリと変えてしまった。
さらに、貞純王后はキリスト教徒を弾圧し、信者たちを大虐殺した。
彼女がそこまで残虐非道だったのは、対立する政治勢力にキリスト教徒が多かったことが大きな理由だった。
貞純王后の摂政は4年間だけだったが、この間に正祖がめざした改革はほとんどつぶれたと言っていい。
そうやって政治を私物化した貞純王后は、1805年に亡くなった。
やはり、正祖は貞純王后によって毒殺されたのではないか。
現在に至るまで、そう考えている人は多い。
(終わり)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
名君だった22代王・正祖(チョンジョ)/朝鮮王朝国王列伝22
正祖(チョンジョ)を悩ませた恵慶宮(ヘギョングン)と貞純(チョンスン)王后!