- 2020-3-25
- 韓国時代劇の登場人物
- 光海君, 朝鮮王朝, 歴史
油断の末の廃位
1623年3月12日の明け方だった。
クーデター軍が王宮に侵入した。
このとき、王を守るための護衛兵たちはほとんど反撃しなかった。すでに、内通していたのである。
このあたりが光海君の不覚だった。
彼はあまりに油断しすぎていたのだ。
光海君は逃亡するが、つかまって流罪となった。クーデターを主導した仁祖(インジョ)は、光海君の命までは奪わなかった。
やがて、光海君は都から一番遠い済州島(チェジュド)に流された。
「なぜ、こんなさいはての島まで流されなければならないのか」
大いに嘆いたが、後悔は先に立たなかった。
1641年、光海君は失意の中で絶命した。しかし、王宮を追放されてから18年も生き延びた。
10代王の燕山君(ヨンサングン)は、同じく廃位になって島流しにあったが、わずか2カ月ほどで世を去っている。
同じく王宮から追放された身でも、光海君のほうが非常にしぶとかった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
仁穆(インモク)王后の悲願は光海君(クァンヘグン)の斬首だった!
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?
廃位となった光海君(クァンヘグン)の最期の地は済州島だった!