世宗が1450年に亡くなったあと、彼の長男の文宗(ムンジョン)が王位を継いだ。彼は諡(おくりな)に「文」という字をもらうくらい、学識に優れた王だった。しかし、身体が弱かった。世宗が亡くなるまでの数年間は代理で政治を仕切っており、政治的にもかなり実績を残していて名君になれる可能性が高かったのだが、王になってからも病気がちで、2年ほどで世を去ってしまう。
首陽大君の野望
文宗の後の王位を継いだのは、長男の6代王・端宗(タンジョン)である。彼は、まだ11歳という幼さかった。
ここで出てきたのが首陽(スヤン)大君という世宗の次男だ。首陽大君にしてみれば、1452年に兄が世を去って甥が王になったことで、野望が極端に膨らんできたのだ。
そのことは、亡くなる前の文宗も見抜いていて、「余が死ねば、首陽が王位を狙ってくるだろう。とにかく息子を守ってくれ」と、側近の金宗瑞(キム・ジョンソ)に命じていた。
金宗瑞は朝鮮王朝の歴史でも特に有名な英雄で、世宗の時代に北からの異民族の侵攻を防ぐという功績をあげて、「大虎」とも称された。ただ、端宗が即位したときには還暦を迎えていて、当時として老境にあった。しかし、他に頼りになる猛者もいないので、金宗瑞が端宗の後見人として首陽大君と対抗した。(ページ2に続く)